秋保温泉の歴史
秋保温泉の開湯時期は不明だが、古墳時代には存在したともいわれている。歴史にその存在を知られるのは紀元6世紀である。欽明天皇が皮膚病に感染したので秋保温泉の湯を現在の奈良県まで搬送し沐浴したところ、数日で全快したという。
喜んだ天皇は、以下の歌を残している。
以後秋保温泉は、皇室の御料温泉のひとつとして位置づけられ、別所温泉(現長野県上田市)、野沢温泉(現長野県下高井郡野沢温泉村)またはいわき湯本温泉(現福島県いわき市)とともに「日本三御湯」と称せられた。
平安時代から戦国時代にかけて、秋保温泉の「湯守役」を佐藤家が勤めていた。伊達政宗の仙台入府後、藩主の御殿場が秋保温泉に整備されたが、この管理も佐藤家に任せられた(現ホテル左勘の祖)。
江戸時代初期までは、秋保温泉の源泉はひとつで入浴場も一箇所のみであった。そのまわりの宿泊所は、はじめ佐藤家のみが管理していたが、岩沼屋、水戸屋が佐藤家と縁を結ぶ形で宿泊施設を開設した。武家はもちろん庶民の利用も活発となり、秋保温泉はさらに広く親しまれるようになった。
大正時代に入ると、秋保温泉と長町(現仙台市副都心のひとつ)の間に建築材として多用された秋保石の採掘運搬を目的とした馬車軌道が開通した。その後、秋保電気鉄道へと発展し、長町駅には国鉄や仙台市電が接続し、戦後の湯池客の足の便を支えた(鉄道は昭和36(1961)年に廃止された)。
1980年代に入ると、高層の大型観光ホテルが次々と建てられ、設備も充実し、現在に至っている。